ハモコミ通信2024年8月号
生活に取り入れたり、仕事で生かすなどしていただけると本望です。
◎お母さんの請求書 (ハモコミ通信2015年6月号1)
日曜日の朝、ブラッドレーは、お母さんに1枚の紙切れを渡した。その紙にはこのように書いてあった。
〇ブラッドレーのせいきゅう書
おつかいちん 1ドル
おそうじちん 2ドル
音楽のけいこに行ったごほうび 1ドル
合計 4ドル
お母さんは、にっこり笑って、何も言わなかった。
お昼の時間の時、お母さんはブラッドレーに4ドルのお金をのせた。ブラッドレーはそのお金を見て喜んだが、そのお金と一緒に、1枚の小さな請求書があった。
その請求書には、次のように書いてあった。
〇お母さんのせいきゅう書
親切にしてあげた代 0ドル
病気したときのかん病代 0ドル
服や、くつや、おもちゃの代 0ドル
食事代と部屋代 0ドル
合計 0ドル
これを読んだブラッドレーは、お母さんの所へ駈けていき「お母さん、このお金はお返しします。そしてお母さんのために、何でもさせて下さい」 と言った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
<コメント>
小学3年生又は4年生の道徳の教科書として採用している県もあるようです。その場合は、ブラッドレーをたかし君とかだいすけ君とし、ドルではなく円にしているようです。
この話は、子どもももちろんですが、むしろ私たち大人が読んで感じるものだなぁ、と思いました。親子だけでなく、たくさんの恩の中に生きているわけですものね。
日常の些細なことの中に、どこかやってもらって当たり前といった気持ちが芽生えたら要注意。といっても、それに気づかないことの方が多い訳ですが・・・。
夫婦間ではやり合わないことをお勧めします(笑)。
◎うちの家はみんなが悪い (ハモコミ通信2015年5月号2)
きょう、私が学校から帰ると、お母さんが 「お兄ちゃんの机をふいていて、金魚鉢を落としてしまった。もっと気をつければ良かったのに、お母さんが悪かった!」 と言いました。
するとお兄ちゃんは 「僕が端っこに置いておいたから、僕が悪かった」 って言いました。
でも私は思い出しました。 きのうお兄ちゃんが端っこに置いた時、私は、「あぶないな」って思ったのにそれを言わなかったから、私が悪かったと言いました。
夜、帰ってきてそれを聞いていたお父さんは 「いや、お父さんが金魚鉢を買う時、丸い方でなく四角い方にすれば良かったなあ。お父さんが悪かった」 と言いました。
そして、みんなが笑いました。
うちはいつもこうなんです。うちはいつもみんなが悪いのです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
<コメント (2015年当時のまま掲載)>
この話は、以前ある講師からお聞きしたことがあったのですが、先日、別の講師から同じ内容のものをお聞きしました。
短い話ですが、思わずウルッときてしまいます。こんなあったかい家庭が築けたら。。。
我が家は時すでに遅し、です(笑)。子ども達3人もすでに大きくなってしまいました。
でも。。。
ふと考えました。 本当に遅いんだろうか?と。
確かに、子どもの頃からこうだったらすばらしいけど、人は成長するもの、と信じたいですね。
いつかこんな温かい会話のある家庭になるかもしれない。そう信じてみたい、と思いました。
(これを書いてから9年が経ちました。「本当に遅いんだろうか」という観点は今も持ち続けています)